ハセちゃん思い出集
This is for Hasechan

ハセちゃん追悼文_ふくろう

ハセちゃんから「トレランをやりたい」と聞いたのが2013年の春。
そのころ僕は、トレイルもウルトラも、もちろん伴走もそれなりに経験を積んでいた。
そして、そろそろトレイルを走るブラインドランナーが現れてもいいと感じていた。
一緒にブラインドトレランを開発することにした。

さっそく2人で高尾山へ。
高尾山口から陣馬山までふたりで走った。

最初は走り方も手探り状態。
互いに左手に持ったトレッキングポールで電車ごっこ状態でつながり、
ハセちゃんは右手に別のポールをもち、地面を探りながら走った。
速くは走れなかったけれど、
工夫を重ねれば、目が見えなくても根っこや岩がごろごろする道を走れることが分かった。
ハセちゃん流ブラインドトレランの黎明期は、そんな感じだった。

その後、ハセちゃんは、リズという素晴らしいパートナーを得てパワーアップした。
ふたりで速く楽に走るための工夫を重ねた。
前後の伴走者によるボイスガイド、背中のランタン、方向を知らせるための熊鈴。
伴走者にハセちゃんの見え方を知ってもらうための眼鏡も作った。

僕はシノマルさんと一緒に、そんなハセちゃんが挑戦できるレース環境を整えることにした。
シノマルさんがハセツネ30の事務局に掛け合ってくれた。
見えないランナーがトレイルを走るのは危ないという理由で断られた。
僕が神流ラン&ウォークの事務局にお願いした。
何度か協議をしてくれて、最終的に試行という形で出走を許可された。

ハセちゃんはリズと一緒に、神流を完走することに全力を傾けた。
泊りがけで何度も現地に行き試走した。
コースを分析して、どこをどうやって走ったいいか計画を立てた。
その熱心さは、分かる人には十分伝わっている。

神流レース本番。
ハセちゃんを、シノマルさんと僕が伴走して走った。
4時間38分。約200人のランナーのなかで50位。
その後、雑誌「ランナーズ」で報告させてもらったとおり素晴らしい結果だった。
2014年11月の出来事。

その実績がきっかけとなり、
ハセちゃんは赤城山や白馬のトレイルレースにも参加できることになった。
そして、そのレースに向けて更に情熱を燃やし始めたところで癌を発病した。
さぞ悔しかったことだろう。

僕らもハセちゃんが早く癌から復帰して、
再びブラインドトレランの最前線で活躍することを信じていた。
だから本当に残念でならない。

ハセちゃんは、困難があっても
どうやってそれを乗り越えるか、いつも考えていた。
そのための努力と工夫を惜しまなかった。
リズとの二人三脚で、乗り越えようとしていた。
その姿は多くの人に勇気を与えると僕は信じていた。

これが僕がハセちゃんと過ごした短い4年間の出来事であり体験。
僕は多くをハセちゃんに学んだ。
ハセちゃん、ありがとう。

 

ハセちゃん追悼文_ジンバ

ハセちゃんは何事もなかったかのようにの限界を突破する方でした。そのハセちゃんの偉業はリズというパートナー無しには成し遂げられなかったと思います。
最初にハセちゃんの伴走をしたのは、冬の2月の八ケ岳でした。アオモンに誘われて赤岳鉱泉の垂直に近い氷の壁をあっと言う間に登りましたね。山小屋のスタッフも感服していました。帰りは冬用の登山靴でしたのでトレランとはいかなかったですが、それでもコースタイムよりも速いペースで冬山を下りました。
二度目は奥多摩でのトレラン練習でした。初めてリズ特製の視野狭窄の疑似体験メガネをかけて山を走りましたが、足元だけではなく殆ど見えない状態でよく走れるものだと感心しました。練習後に温泉に行ったとき、ハセちゃんの脛がボコボコになっているのに気が付いて、いつの傷かを尋ねたところ、笑いながら覚えていないという返事でした。ガイドの走りながらの不十分な説明だけで山を走るのですから、ケガも多かったと思います。それでもハセちゃんは全てを受け入れて山を走っていました。
神流の練習会で道に迷った時も落ち着いていました。ガイドの足元の説明が不十分で大きな岩に足をぶつけた時も、初めは痛がっていましたが直ぐに何事もなかったかのように走り始めました。南アルプスを一緒に登り、途中でリズがヘリに緊急搬送されたときは絶体絶命かと思いましたが、私一人の伴走でも落ち着いてトレランで北岳を降りることができました。早い時間に下ったことに出迎えた地元スタッフの方も驚いていました。
最後の伴走は白馬の練習会でした。前半はこれまでの様に走れていたのですが、ゴール前で喉が痛いので歩きますと言われ、初めてハセちゃんの弱気を感じました。思い返せばもうその時は既に病が始まっていたのですね。
どんな困難にも飄々と立ち向かったハセちゃんは、B組トレールランナーのパイオニアでありながら、酒好きの普通のおじさんでした。

ハセちゃん追悼文_キタホッケ

2015年9月白馬国際トレイルランにむけた試走会でハセちゃんと一緒に走りました。山岳トレイル特有の工夫を重ねた伴走方法に触れるとともに、素早いストックさばき&脚さばきで難所をクリアするハセちゃんの走りに驚きました。

残念ながら病気が判明し、本大会には出られませんでしたが、それまでの活躍は観た人の記憶にしっかり刻み込まれ後進のランナーにも勇気と大きな希望を与えたと思います。

トレイルを走るブラインドの草分け、ハセちゃんのご冥福をお祈りします。天国でもっと自由に野山を駈けめぐっていますように。

キタホッケ

ハセちゃん追悼文_カラユデ

ロービジョンでトレイルランをやる人がいるとは!! それが私がハセちゃん(長谷川武さん)への第一印象だった。

9月の白馬トレイルレース伴走についてシノマルさんからだったか?打診されたと思う。
私は10年程のトレラン歴があるがぶっつけ本番伴走は避けたいこともあり、まず試走することになった。事前にハセちゃんの伴走方法をもらったが、それがpptファイルだったことに驚いた。今から思えばたしかにこの内容は多くの人にプレゼンテーションされるべきものだ。なにしろ先進的なのだから。

この年、私は初めて富士登山競走山頂コースにエントリーしたこともあり、富士山の試走と白馬トレイルの試走を抱き合わせることにした。宿泊費はかかるが2往復することを考えれば十分合理的に思えた。
仕事を終えてから自分の車で板橋からハセちゃんとロアンさんをピックアップして長野まで行き、1泊した翌朝白馬村で長野に住む”北ほっけさん”(北野さん)と待合せた。

私含めこの日のメンバーは大会コースを熟知していたわけではなかったため、大会公式HPの地図を頼りに走ることになった。コースがスキー場ゲレンデの中で道路でなかったりしたため途中何度か迷いながらの試走となった。

コース自体はスタート直後に八方尾根の急斜面を登るというなかなか厳しいコースだった。
トレイルの伴走はローブで横に並ぶのではなく、前後に伴走者がついて「根っこ」「右顔」「左キレ」「左キレ終わり」など声でガイドするものだった。以前バンバンメンバーで箱根の山へ登った時のザックに捕まってもらうスタイルとは全く違っていた。

なにしろ驚いたのはハセちゃんの下りの速さで、私は急な下りでは当然のごとく減速して慎重に降りるが、前を走るハセちゃんは北ほっけさんについて突っ込んで行き、ストックを使ったり尻で降りたりしていた。間隔が離れそうになりあせったことを話すと「見えないから逆に恐怖心がないんです」と冗談まじりに言っていた。

天候もまずまずの中、ハセちゃん、北ほっけさん、ロアンさん、カラユデ、の4人で途中昼休憩も入れながらではあったが、午後3時くらいまで?無事に走り終えることができた。その後、皆で白馬バスターミナル前の日帰り温泉に入り、ハセちゃんとロアンさんは夕方の高速バスで東京へ、北ほっけさんは自宅へ、私は富士吉田へ向かい解散となった。

試走時にハセちゃんが「山の中で黄色のビブスは見えるがピンクは見えない。ビブスであることがわかりづらい」と言っていた。私自身も色の見え方が一般的ではないが、職業柄ロービジョン者の色の見え方に関わる立場として、「この色がよい。この色はダメ」をはっきり言ってくれるハセちゃんは絶好の被験者に思えた。これから色々な検証の声かけができると、私はこっそり喜んでいた。

その後、少し経ってからロアンさんから白馬トレイル不参加とその理由を知らされショックを受けた。身内含めて自分の周りでもガン治療後に元気に暮らしている人がごくあたりまえのように増えているため、時間はかかるかもしれないがハセちゃんもトレラン復帰するものと信じていた。今もどこかの山を走りながら、こちらを見守ってくれているような。。。 まさに”挑戦者”という言葉がピッタリな人でした。 合掌

カラユデこと田中陽介

はせちゃんへ_はらっち

赤城トレイルの練習では、山をピョンピョン身軽に駆けるハセちゃんに、私はおいて行かれないようにゼーゼー必死でした。終わったあと、運転手のリズに小言を言われながら、助手席で気持ちよさそうにウトウトしていたハセちゃんがとても印象的でした。
早すぎるお別れに残念でなりませんが、空の上から、リズとみんなを見守っていてくださいね。ハセちゃん、ありがとう。